鈴木淑夫 日本の経済針路(新政権は何をなすべきか) 岩波書店
輸出に代わってこれから日本経済の発展を引っ張るのは何であろうか。それは,①国民生活の向上に密着した国内需要の持続的増加、②海外投資の効率化による海外からの所得純受取の増加、および③名目円レートの円高に伴なう交易利得の拡大、の3つである。(P145)
これをマクロ経済の姿として整理すると、次のようになる。
第一に、これからの生活重視のマクロ経済政策の戦略的な目標は、企業の国内における生産ではなく、国民の実質所得である。指標に関して言えば、これまでなじみの深かった「実質国内総生産(GDP)」ではなく、国民生活の基盤である「実質国民総所得(GNI)」である。
「実質GDP」に「交易利得」と「海外からの純受取所得」と加えた指標が「実質GNI」である。小泉政権以降の01-08年中は海外商品市況の上昇と超低金利に伴なう円安によって、交易条件は悪化を続け、交易利得はマイナス、つまり交易損失に変わっていた。このため「海外からの純受取所得」は少しずつ拡大してはいたが、交易損失の拡大テンポがはやかったため、「実質GNI」の増加率は常に「実質GDP」の成長率を下回り、07年度には、遂に絶対額でも「実質GNI」が「実質GDP」を下回ってしまった。(p136)
これからの日本は、これを逆転させなければならない。
企業努力による対外投資の収益率向上と、政府による対外準備の効率的運用は、国民生活の基礎となる実質国民総所得(GNI)の増加率に大きな影響を及ぼすのである。
注)
交易条件=輸出物価/輸入物価
国内で生産された付加価値の総額を実質ベースで測ったものがいつも聞きなれている「実質国内総生産(GDP)」である。しかし、この国内総生産を海外に安く売り、海外の生産物を高く勝手いると、「国内総所得(GDI)」は減ってしまう。この輸出価格と輸入価格の比率を「交易条件」と言い、輸出価格の方が相対的に値上がりしていれば、交易条件は好転(交易利得の増加)、逆に比率が低下していれば交易条件の悪化(交易損失の増加)である。(P78)
「実質国内総生産(GDP)」に「交易利得」を足した(または交易損失を引いた)のが、「実質国内総所得(GDI)」である。このGDIに、更に「海外からの所得(純受取)」を加えたのが、「実質国民総所得(GNI)」だ。これこそが国民生活の基盤である。(P79)
2010年1月4日月曜日
小泉政権はどのような政策課題を抱え、それにどのように対応したのか、そしてその帰結は何だったのか
鈴木淑夫 日本の経済針路(新政権は何をなすべきか) 岩波書店
2001年4月に発足した小泉内閣は、少なくとも3つの経済的課題を、それに先立つ日本経済から引き継いでいた。
第一は不況の克服である。
第二に、このような中で、大手銀行の一角である「りそな銀行」の経営危機が表面化し、株価は暴落して再び金融恐慌前夜の様相を呈した。
第三の課題は、財政赤字の縮小である。官僚に主導された橋本内閣が「財政赤字の圧縮は待ったなしの最優先課題である」という誤った認識の下で97年度の超緊縮予算を執行し、経済をマイナス成長に落ち込ませて逆に財政赤字を拡大した。その結果、97年当時、他の先進国に比べてほとんど遜色のなかった日本の政府債務残高対GDP比率は、その後急上昇し、小泉内閣発足時の01年度には、本当に他の先進国を大きく上回ってしまったのである。
不況の克服、金融危機の処理、財政債権という3つの課題に直面して小泉政権が採った基本的戦略は、「財政緊縮、金融超緩和」のポリシーミックスであった。財政緊縮によって財政赤字の縮小を図る一方、不況克服の役割を日本銀行に押し付け、ゼロ金利政策、量的緩和政策などの超金融緩和政策を取らざるを得ない状況に追い込んだ。
超金融緩和政策、一方で円安を促進して輸出主導の景気回復を実現し、他方で金融危機の深化を防ぎ、その処理を容易にした。
こうして「財政緊縮、金融超緩和」のポリシーミックスというマクロ経済政策によって、3ツのマクロ経済的課題の解決に一定の成功を収めた小泉政権は、その副作用として、輸出産業と内需産業、企業と家計、大企業と中小企業、中央経済と地方経済、正規雇用者と非正規雇用者などの間に、大きな格差を生み出した。
2001年4月に発足した小泉内閣は、少なくとも3つの経済的課題を、それに先立つ日本経済から引き継いでいた。
第一は不況の克服である。
第二に、このような中で、大手銀行の一角である「りそな銀行」の経営危機が表面化し、株価は暴落して再び金融恐慌前夜の様相を呈した。
第三の課題は、財政赤字の縮小である。官僚に主導された橋本内閣が「財政赤字の圧縮は待ったなしの最優先課題である」という誤った認識の下で97年度の超緊縮予算を執行し、経済をマイナス成長に落ち込ませて逆に財政赤字を拡大した。その結果、97年当時、他の先進国に比べてほとんど遜色のなかった日本の政府債務残高対GDP比率は、その後急上昇し、小泉内閣発足時の01年度には、本当に他の先進国を大きく上回ってしまったのである。
不況の克服、金融危機の処理、財政債権という3つの課題に直面して小泉政権が採った基本的戦略は、「財政緊縮、金融超緩和」のポリシーミックスであった。財政緊縮によって財政赤字の縮小を図る一方、不況克服の役割を日本銀行に押し付け、ゼロ金利政策、量的緩和政策などの超金融緩和政策を取らざるを得ない状況に追い込んだ。
超金融緩和政策、一方で円安を促進して輸出主導の景気回復を実現し、他方で金融危機の深化を防ぎ、その処理を容易にした。
こうして「財政緊縮、金融超緩和」のポリシーミックスというマクロ経済政策によって、3ツのマクロ経済的課題の解決に一定の成功を収めた小泉政権は、その副作用として、輸出産業と内需産業、企業と家計、大企業と中小企業、中央経済と地方経済、正規雇用者と非正規雇用者などの間に、大きな格差を生み出した。
なぜ97年の超緊縮財政において官僚は橋本政権を情報操作したのか
鈴木淑夫 日本の経済針路(新政権は何をなすべきか) 岩波書店
後になって、橋本総理や梶山官房長官(当時)が述懐したところによれば、当時橋本内閣の閣僚たちは、総理を含め、経済企画庁(当時)が作った楽観的な97年度経済見通しと、住専を処理すれば残る問題は信用総合の経営だけだという大蔵省(当時)の説明を鵜呑みにしていたのだと言う。まさに「官僚主導型政治」の典型的な事例である。
官僚の情報操作に乗せられた与党の政治家が、野党や一部の識者の声に耳を貸さず、日本経済を台無しにするような大失敗を犯したのである。
何故官僚たちは、ここまで情報操作をしたのであろうか。大蔵省の金融行政は、戦前の片岡大蔵大臣の国会での不用意な発言が昭和金融恐慌の引き金になった失敗に鑑み、伝統的に深刻な金融問題を隠す体質を持っていた。金融危機の実態を隠しながら、経営の悪化した金融機関を優良な金融機関に合併させ、合併先が見つからない時は大蔵官僚OBをトップに送り込んで解決を先送りし景気回復によって好転するまで隠し続けた。こうして金融行政の「無謬性神話」は維持されて来た。
90年代も真実を明らかにしないという意味で、同じ手法をとっていた。住専処理と称して住専に公的資金を投入したが、実は住専ではなく、農林系統金融機関の救済が目的であった。この公的資金で住専に対する農林系統金融機関の不良再建の返済を可能にして農林系統金融機関を救い、そのあと住専は見殺しにした。また信用組合にのみ公的資金を注入する体制を作っただけで、あとは大丈夫だと説明して先送りしようとした。
しかし、財政再建最優先の97年度超緊縮予算を組むことによって、大蔵省は自ら墓穴を掘った。自ら引き起こした二年間のゼロ成長とマイナス成長という深刻な景気後退によって、株価暴落と不良債権の再膨張を招き、金融機関の経営悪化は先送り出来ない域に達した。そして遂に大型金融倒産という形で火を噴いたのである。
そうなるまで隠し続けた動機は、過去の金融行政の失敗が明らかになるのを避けたかったという行政の「無謬性神話」への固執があったからかもしれない。あるいは、主計局の銀行局に対する絶対的優位から、財政構造改革法の国会通過の妨げとなる深刻な金融問題を銀行局に隠し続けさせたという組織上の問題もあったかもしれない。
後者だとすれば、これが景気となって大蔵省の財金分離が与野党の政治家によって実行され、金融庁が誕生したのは一つの前進かもしれない。
後になって、橋本総理や梶山官房長官(当時)が述懐したところによれば、当時橋本内閣の閣僚たちは、総理を含め、経済企画庁(当時)が作った楽観的な97年度経済見通しと、住専を処理すれば残る問題は信用総合の経営だけだという大蔵省(当時)の説明を鵜呑みにしていたのだと言う。まさに「官僚主導型政治」の典型的な事例である。
官僚の情報操作に乗せられた与党の政治家が、野党や一部の識者の声に耳を貸さず、日本経済を台無しにするような大失敗を犯したのである。
何故官僚たちは、ここまで情報操作をしたのであろうか。大蔵省の金融行政は、戦前の片岡大蔵大臣の国会での不用意な発言が昭和金融恐慌の引き金になった失敗に鑑み、伝統的に深刻な金融問題を隠す体質を持っていた。金融危機の実態を隠しながら、経営の悪化した金融機関を優良な金融機関に合併させ、合併先が見つからない時は大蔵官僚OBをトップに送り込んで解決を先送りし景気回復によって好転するまで隠し続けた。こうして金融行政の「無謬性神話」は維持されて来た。
90年代も真実を明らかにしないという意味で、同じ手法をとっていた。住専処理と称して住専に公的資金を投入したが、実は住専ではなく、農林系統金融機関の救済が目的であった。この公的資金で住専に対する農林系統金融機関の不良再建の返済を可能にして農林系統金融機関を救い、そのあと住専は見殺しにした。また信用組合にのみ公的資金を注入する体制を作っただけで、あとは大丈夫だと説明して先送りしようとした。
しかし、財政再建最優先の97年度超緊縮予算を組むことによって、大蔵省は自ら墓穴を掘った。自ら引き起こした二年間のゼロ成長とマイナス成長という深刻な景気後退によって、株価暴落と不良債権の再膨張を招き、金融機関の経営悪化は先送り出来ない域に達した。そして遂に大型金融倒産という形で火を噴いたのである。
そうなるまで隠し続けた動機は、過去の金融行政の失敗が明らかになるのを避けたかったという行政の「無謬性神話」への固執があったからかもしれない。あるいは、主計局の銀行局に対する絶対的優位から、財政構造改革法の国会通過の妨げとなる深刻な金融問題を銀行局に隠し続けさせたという組織上の問題もあったかもしれない。
後者だとすれば、これが景気となって大蔵省の財金分離が与野党の政治家によって実行され、金融庁が誕生したのは一つの前進かもしれない。
バブル崩壊後の自律回復をどのように橋本政権はだいなしにしたか
鈴木淑夫 日本の経済針路(新政権は何をなすべきか) 岩波書店
90年から始まった地価と株価のバブル崩壊は、日本経済に大きな痛手を与えた。設備投資と在庫投資の後退によって、三年間に平均1%弱の成長しか出来ずに低迷していた。しかし、(略)94年度から96年度には、早くも毎年2%台の成長率に回復した。円相場は再び強くなり、90年に8位まで低下したOECD諸国内の一人当たり名目GDPの順位も、93年には2位に上昇し、96年までの3年間は3位を維持していた。
回復を主導したのは、短期のストック調整を終えた設備投資と在庫投資である。また企業収益の回復は、賃金と雇用の回復を通じて雇用者報酬を回復させ、家計消費を大きく回復させた。輸出と輸入の差である純輸出(外需)はむしろマイナスで、成長の足を引っ張っていた。典型的な内需主導型回復である。
この3年間の国内民間主導型の回復が、その後も維持されていたならば、バブルの崩壊によって発生した多額の不良債権・不良債務は、21世紀の初頭までに少しずつ整理されたに違いない。
しかしこの道が政策の失敗によって絶たれたのである。
橋本内閣は、1997年度に超緊縮予算を執行した。消費税の3%から5%への引き上げで5兆円、特別減税の打ち切りで2兆円、医療保険など社会保障負担の引き上げで2兆円、計9兆円の国民負担増加と、四兆円の公共投資削減、合計13兆円のデフレ・インパクトを持った予算である。
その結果、まず家計消費が落ち込み、続いて企業投資が沈んだ。97年度はゼロ成長となり、98年度は更に1.5%のマイナス成長に陥った。
戦後の日本経済で、この年までにマイナス成長に陥った年は、第一次石油ショックで高度成長が終焉した74年度(1990暦年基準GDP)と、バブル崩壊後の93年度(1995暦年基準GDP)の二回だけであったから、97年度予算は、73年秋の第一次石油ショックや90年代初頭のバブル崩壊に匹敵する衝撃を日本経済に与えたのである。いや、それ以上であった。ゼロ成長とマイナス成長が2年間続いたのは、戦後初めての事だからである。
97年度以降、経済が二年続けてゼロ成長とマイナス成長に陥ったため、財政、金融、企業経営は大打撃を受けた。
97年度の財政赤字は、9兆円の国民負担増加と4兆円の公共投資削減にも拘わらず、2兆円しか減らなかった。
これに伴ない、政府債務残高の対GDP比率は急上昇した。1996年の時点では、「粗」比率では、米国、カナダ、ユーロ圏とほとんど遜色のない水準であり、「純」比率では日本が一番低かったので、景気回復を犠牲にしてまで財政再建を急ぐ必要はなかったのである。
(97年から99年にかけての)この2年間の3.4%のマイナス成長により、バブル不況からの立ち直りを進めていた日本の企業は、肝心の本業が大きく悪化した。バブルの崩壊で生まれた不良債務の整理を進めるどころか、本業の方で新たな不良債務が膨らみ始めたのである。債務ばかりではない。94年から96年の3年間の前向きに増やし始めていた設備と雇用も、予期せぬ2年間3.4%の中で過剰となった。
この時生まれた「3つの過剰」(設備、雇用、債務の過剰)は、2004年まで企業経営を圧迫し、経済成長の足を引っ張り続けたのである。
90年から始まった地価と株価のバブル崩壊は、日本経済に大きな痛手を与えた。設備投資と在庫投資の後退によって、三年間に平均1%弱の成長しか出来ずに低迷していた。しかし、(略)94年度から96年度には、早くも毎年2%台の成長率に回復した。円相場は再び強くなり、90年に8位まで低下したOECD諸国内の一人当たり名目GDPの順位も、93年には2位に上昇し、96年までの3年間は3位を維持していた。
回復を主導したのは、短期のストック調整を終えた設備投資と在庫投資である。また企業収益の回復は、賃金と雇用の回復を通じて雇用者報酬を回復させ、家計消費を大きく回復させた。輸出と輸入の差である純輸出(外需)はむしろマイナスで、成長の足を引っ張っていた。典型的な内需主導型回復である。
この3年間の国内民間主導型の回復が、その後も維持されていたならば、バブルの崩壊によって発生した多額の不良債権・不良債務は、21世紀の初頭までに少しずつ整理されたに違いない。
しかしこの道が政策の失敗によって絶たれたのである。
橋本内閣は、1997年度に超緊縮予算を執行した。消費税の3%から5%への引き上げで5兆円、特別減税の打ち切りで2兆円、医療保険など社会保障負担の引き上げで2兆円、計9兆円の国民負担増加と、四兆円の公共投資削減、合計13兆円のデフレ・インパクトを持った予算である。
その結果、まず家計消費が落ち込み、続いて企業投資が沈んだ。97年度はゼロ成長となり、98年度は更に1.5%のマイナス成長に陥った。
戦後の日本経済で、この年までにマイナス成長に陥った年は、第一次石油ショックで高度成長が終焉した74年度(1990暦年基準GDP)と、バブル崩壊後の93年度(1995暦年基準GDP)の二回だけであったから、97年度予算は、73年秋の第一次石油ショックや90年代初頭のバブル崩壊に匹敵する衝撃を日本経済に与えたのである。いや、それ以上であった。ゼロ成長とマイナス成長が2年間続いたのは、戦後初めての事だからである。
97年度以降、経済が二年続けてゼロ成長とマイナス成長に陥ったため、財政、金融、企業経営は大打撃を受けた。
97年度の財政赤字は、9兆円の国民負担増加と4兆円の公共投資削減にも拘わらず、2兆円しか減らなかった。
これに伴ない、政府債務残高の対GDP比率は急上昇した。1996年の時点では、「粗」比率では、米国、カナダ、ユーロ圏とほとんど遜色のない水準であり、「純」比率では日本が一番低かったので、景気回復を犠牲にしてまで財政再建を急ぐ必要はなかったのである。
(97年から99年にかけての)この2年間の3.4%のマイナス成長により、バブル不況からの立ち直りを進めていた日本の企業は、肝心の本業が大きく悪化した。バブルの崩壊で生まれた不良債務の整理を進めるどころか、本業の方で新たな不良債務が膨らみ始めたのである。債務ばかりではない。94年から96年の3年間の前向きに増やし始めていた設備と雇用も、予期せぬ2年間3.4%の中で過剰となった。
この時生まれた「3つの過剰」(設備、雇用、債務の過剰)は、2004年まで企業経営を圧迫し、経済成長の足を引っ張り続けたのである。
日本国民を取り巻く四重苦とは何か
鈴木淑夫 日本の経済針路(新政権は何をなすべきか) 岩波書店
第一は景気上昇から景気後退初期に生じた、消費者物価の上昇である。
第二は、景気上昇期から最近の景気後退期まで、一貫して続いた超低金利である。
第三に、円の為替相場は、21世紀に入って07年中頃まで大きく値下がりした(円安)。つまり戦後最長の景気上昇期間中、外国の物を買うのに、これまでより多くの円を支払わなくては買えない状態が続いた。その後07年後半からは円高に転じたが、実質実効レートで見ると、まだ01年からの円安の5割強しか戻っていない。これは、国民生活の対象となっている輸入品の値上がりであり、海外旅行費用の上昇である。これも国民生活にとって不利である。
第四に、08年にはいって日本の景気は後退し始め、雇用者が減り、失業者は増えている。
第一は景気上昇から景気後退初期に生じた、消費者物価の上昇である。
第二は、景気上昇期から最近の景気後退期まで、一貫して続いた超低金利である。
第三に、円の為替相場は、21世紀に入って07年中頃まで大きく値下がりした(円安)。つまり戦後最長の景気上昇期間中、外国の物を買うのに、これまでより多くの円を支払わなくては買えない状態が続いた。その後07年後半からは円高に転じたが、実質実効レートで見ると、まだ01年からの円安の5割強しか戻っていない。これは、国民生活の対象となっている輸入品の値上がりであり、海外旅行費用の上昇である。これも国民生活にとって不利である。
第四に、08年にはいって日本の景気は後退し始め、雇用者が減り、失業者は増えている。
2010年1月3日日曜日
国はなぜ借金をしつづけられるのか
土居丈朗「財政学からみた日本経済」(光文社新書)
それは、国民が郵便貯金にお金を預けそれを国に貸したり、銀行が、バブル崩壊以降、民間企業に貸し渋る一方で、国には多額のお金を貸したりしているからである。さらに、郵便貯金や国民の年金の積立金の多くは、無駄遣いや国民のためにならない仕事をしている特殊法人へお金を化している。国民の虎の子の貯金は、霞が関の官僚が運営する国の制度によって、不本意にもそうした無駄遣いをする国や特殊法人などに使われてしまっているのである。
おまけに、特殊法人が無駄遣いをしたため、貸したお金の多くは、(政府・官僚は認めていないが)もはや戻ってこず焦げ付いてしまっている。これは、将来、年金給付が減らされたり、郵便貯金で得られる利息が減らされたりする形で、国民にツケをまわされることになる。
それは、国民が郵便貯金にお金を預けそれを国に貸したり、銀行が、バブル崩壊以降、民間企業に貸し渋る一方で、国には多額のお金を貸したりしているからである。さらに、郵便貯金や国民の年金の積立金の多くは、無駄遣いや国民のためにならない仕事をしている特殊法人へお金を化している。国民の虎の子の貯金は、霞が関の官僚が運営する国の制度によって、不本意にもそうした無駄遣いをする国や特殊法人などに使われてしまっているのである。
おまけに、特殊法人が無駄遣いをしたため、貸したお金の多くは、(政府・官僚は認めていないが)もはや戻ってこず焦げ付いてしまっている。これは、将来、年金給付が減らされたり、郵便貯金で得られる利息が減らされたりする形で、国民にツケをまわされることになる。
負の所得税
飯田泰之、湯浅誠「経済成長って何で必要なんだろう?」(光文社)
飯田
例えば、そういった失業者の受け皿として、僕は、派遣という労働形態は非常に有用な気がするんです。収入が低くても待遇が悪くても、まったく職を得られないよりはマシなんではないでしょうか。その意味で、派遣業法の規制をさらに緩和して、とにもかくにもジョブをつくるという方向はアリなんじゃないでしょうか。
湯浅
生存が確保されるなら、それでいいと思います。ただ、そうした半就労・半失業状態には、半就労・半福祉が対応しなければいといけません。例えば、生活保護をもらいながら就労で5万円稼ぐとか、足りない分を福祉で出すとか、こういう生活のあり方、生存のあり方というのを、社会的に受け入れるかどうかですね。
竹中平蔵は「雇用を流動化したから失業がこの程度で済んでいるんだ」という言い方を好みますが、そこには、生きていけるかどうかが入ってない。食える失業と食えない非正規労働だったら、どっちがいいのか。こういうことも含めて考えなきゃいけない。でも、彼らは労働を収入の面でしか考えないから、単純に失業よりは非正規労働のほうがいいという話になってしまう。
それと同じで、雇用を流動化して「ゼロよりはマシでしょ」といったときに、それが食えるか食えないかが問題なんです。だから、食えないことを前提に、雇用を流動化して非正規労働を増やすのであれば、必ず半福祉・半就労というのを社会的に位置づけなきゃいけない。
ところが、「失業より非正規雇用がマシだろ」といったときには、社会保障の話は入ってこないわけです。「働ければ、働く場所があるだけでもありがたいと思え」という理屈だから。ここでどれだけ突き進んでいっても、半福祉・半就労は位置づかない。
だから、もうちょっと逆の側から、セーフティネットの側から、半福祉・半就労を位置づける中で、非正規労働を社会的に受け入れていく。そういう流れで、雇用の流動化という問題を考えないと、結局生存が確保されない。
飯田
その半福祉・半就労に一番近いタイプが、「負の所得税」といいますか、給付型のスタイルですね。例えば年収0なら、所得税をマイナス120万円にする。つまり120万円を給付するわけですね。その飢えで、60万円を稼いだ人に対しては、この給付を100万円にする。「120マイナス60「で給付を「60万円」にしたら「働くだけ損」ということになりますが、負の所得税では、あくまで働いて稼いだ方が総額で特になるように、税制をデザインします。これがいわゆるフリードマンスタイルの給付の仕方です。
飯田
例えば、そういった失業者の受け皿として、僕は、派遣という労働形態は非常に有用な気がするんです。収入が低くても待遇が悪くても、まったく職を得られないよりはマシなんではないでしょうか。その意味で、派遣業法の規制をさらに緩和して、とにもかくにもジョブをつくるという方向はアリなんじゃないでしょうか。
湯浅
生存が確保されるなら、それでいいと思います。ただ、そうした半就労・半失業状態には、半就労・半福祉が対応しなければいといけません。例えば、生活保護をもらいながら就労で5万円稼ぐとか、足りない分を福祉で出すとか、こういう生活のあり方、生存のあり方というのを、社会的に受け入れるかどうかですね。
竹中平蔵は「雇用を流動化したから失業がこの程度で済んでいるんだ」という言い方を好みますが、そこには、生きていけるかどうかが入ってない。食える失業と食えない非正規労働だったら、どっちがいいのか。こういうことも含めて考えなきゃいけない。でも、彼らは労働を収入の面でしか考えないから、単純に失業よりは非正規労働のほうがいいという話になってしまう。
それと同じで、雇用を流動化して「ゼロよりはマシでしょ」といったときに、それが食えるか食えないかが問題なんです。だから、食えないことを前提に、雇用を流動化して非正規労働を増やすのであれば、必ず半福祉・半就労というのを社会的に位置づけなきゃいけない。
ところが、「失業より非正規雇用がマシだろ」といったときには、社会保障の話は入ってこないわけです。「働ければ、働く場所があるだけでもありがたいと思え」という理屈だから。ここでどれだけ突き進んでいっても、半福祉・半就労は位置づかない。
だから、もうちょっと逆の側から、セーフティネットの側から、半福祉・半就労を位置づける中で、非正規労働を社会的に受け入れていく。そういう流れで、雇用の流動化という問題を考えないと、結局生存が確保されない。
飯田
その半福祉・半就労に一番近いタイプが、「負の所得税」といいますか、給付型のスタイルですね。例えば年収0なら、所得税をマイナス120万円にする。つまり120万円を給付するわけですね。その飢えで、60万円を稼いだ人に対しては、この給付を100万円にする。「120マイナス60「で給付を「60万円」にしたら「働くだけ損」ということになりますが、負の所得税では、あくまで働いて稼いだ方が総額で特になるように、税制をデザインします。これがいわゆるフリードマンスタイルの給付の仕方です。
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