2007年に1枚目のアルバムCarsick Carsを発売した。今年の6月には2枚目の”You Can Listen, You Can Talk”がMaybe Marsレーベルから発売された。デビューアルバムよりは、アグレッシブさは薄れたが、かなり洗練されてきている。ポストパンクのThe Pixiesや、グランジのNirvanaの影響が大きい。時に、Zhangの歌い方は Velvet Undergroundsの伝説のカリスマLou Reedを思わせる。 Carsick Carsの登場によって、北京のアンダーグラウンドシーンが一気に活発化した。
Pettisは、現在の中国を60年代のアメリカと比べている。60年代のアメリカは、ボブ・ディランや、ジミ・ヘンドリックスをうみだした。ただ北京のアンダーグラウンド世代には、ウッドストック世代が共有していた政治的、音楽的団結心のようなものは存在しない。20年前の天安門事件の革命歌 ”Nothing to My Name“を歌ったCui Jianのような存在はいない。
この歌詞に代表されるような、ちょっと虚無的な態度は、60年代のフラワー世代というよりは80年代のパンクに似ているようだ。このニヒリズムは、伝統的な音楽体系や、商業的成功への彼の無関心さにもあらわれている。どうせ金儲けなどできないんだから、新しい音楽やサウンドを作り出せばいいんだ。 金儲けには関心がない、Zhangが北京では数少ない、バイトなしでも暮らしていけるミュージシャンなのは少々皮肉だ。彼は、Beijing Institute of Technologyの光電子工学専攻の学生だった。去年、大学を辞めた。多分戻ることはないだろう。
僕が、このバンドのことは知らないというと、彼は、すぐにCDショップに行くべきだと言いました。そしてすぐに彼らのCDを手に入れました。家に帰ってCDを聞いたとたん、僕はVelvet Undergroundに夢中になりました。それがミュージシャンになろうと決心したきっかけです。その後、Michaelが、Suicide, Glenn Branca, Sonic Youth, John Adams, DNA、Steve Reichなどの他の多くの音楽を聞かせてくれるようになりました。
今になると、当時のこういったバンドはすべてアメリカやイギリスのバンドをコピーしていただけだということがわかったのですが、当時は、それを聴くだけでも凄い体験でした。1,2年後に、僕は、3つか4つ良いバンドがあることに気づきました。Hang on the Box, Joyside, PK 14 やReTROSです。それ以外のバンドのほとんどは単なるコピーでした。