2010年9月2日木曜日

転換社債VS株式 フレッド・ウィルソン

Some Thoughts On Convertible Debt
転換社債について
Seth Levine has a long and thoughtful post on convertible debt vs equity. If you are an entrepreneur or active in the angel/seed sector, you should read it. He wrote it in response to Paul Graham's tweet that said:
ポール・グラハムのツイートに対して、Seth Levineが書いたCB対株式についてのコメント。

Convertible notes have won. Every investment so far in this YC batch (and there have been a lot) has been done on a convertible note.
CBの勝ち。YCBatchのファイナンスはCB中心。

I am sure that Paul was talking about angel/seed rounds and was not suggesting that convertible debt has "won" as the preferred financing structure in the venture capital business. But since our firm does participate in select angel/seed rounds, this was interesting to me.


I have been doing venture capital for 25 years now and have also done many angel investments personally along with my wife. We have never done a convertible debt round. That run may soon come to an end if Paul is right. Maybe I will have to join the convertible debt parade.

But I don't like convertible debt for a host of reasons.
ぼくはいくつかの理由でCBが嫌い。

It used to be that convertible debt was a lot easier and cheaper to do legally. But with non-negotiated "light series A docs" from most top venture law firms out there, you can do a Series A Preferred for less than $5000. And these light Series A documents focus on economics not control and governance, just like converts do. So to me that is not a valid argument for doing convertible debt anymore.

CBは昔は優先株に比べると、簡単で、法的手続きも安上がりだった。しかし弁護士事務所が交渉なしの優先株に関する簡便なドキュメントを可能にしたので、この差がなくなった。

It still is true that negotiating valuation can be very tricky in an angel round and it may be better to defer that negotiation until the next round. That is what convertible debt does. But I am a sophisticated investor. I do this for a living. I can negotiate a fair price with an entrepreneur in five minutes and have done that for a seed/angel round many times. So I don't think that argument applies to an investment I am making either.

実際、バリュエーション交渉というのはエンジェルラウンドでは厄介なものなので、この交渉は次のラウンドに延期した方がいい。しかし、ぼくは投資が本職なので、こんなことはそんなに難しくないので、自分にはあてはまらない。

Fans of convertible debt argue that debt with a valuation cap is no different than a priced equity round. That is true if the valuation cap is the same as the valuation that the investors would pay if it was equity. But if that is the case, then the entrepreneur is getting screwed. He or she is agreeing to either take the valuation that would have been offered, or something lower if the next round is lower. That is not a good deal for the entrepreneur.
CB好きは、バリュエーションキャップのついた債券はエクイティラウンドとなんの違いもないと主張する。しかしCBの投資家がエクイティ投資と同じバリュエーションキャップならばその通りである。そうだとすれば、起業家が出し抜かれたことになる。

In truth. there are many convertible debt deals getting done right now with very high valuation caps and some with no valuation caps. In that instance, we are simply seeing the impact of limited supply vs excess demand come into play in the angle/seed market and we need to call this what it is - a price increase.

And that is what I think Paul is actually seeing. He has done such a good job with Y Combinator and his leadership and vision has inspired a wave of seed and angel investment in web services that is unprecedented. That wave is creating price expansion. It is a seller's market and will be for some time to come. And then things will settle down. And when they do, I think we will see the angel/seed market return to a more normal place. A place where priced equity deals between entrepreneurs and sophisticated investors is the norm.

Of course, I could be wrong about all of this. It could be wishful thinking so that I don't have to eat my words and do a convert. That may well happen. Maybe very soon. Maybe my next deal. But I won't be happy about it.

2010年6月7日月曜日

浜口内閣前の歴代内閣はなぜ金解禁に取り組まなかったのか

城山三郎「男子の本懐」(新潮文庫)P41

国の内外からそれほど求められているというのに、歴代内閣は、なぜ金解禁に取り組まなかったのか。

ひとつには、準備の問題がある。

解禁そのものは、大蔵省令一本でできるが、為替相場が低落したままの状態で解禁すれば、法定相場との間に大きな差が出るため、たとえば、手持ちのある輸入業者は大打撃を受けるし、輸出業者は外貨建て値の急騰で輸出ができなくなる。一方、為替差益を狙っての投機も横行する。

このため、解禁に先立って、為替相場をできるだけ回復させ、法定レートに近づけておかねばならず、財政を中心に強力な緊縮政策を行って、国内物価を引下げておく必要がある。

また、一時的に金の流出が予想されるので、金準備をふやし、外国からの信用供与もとりつけておかねばならない。

これら諸条件の整備と、解禁のタイミング決定は、浜口のいうように、尋常一様な財政家の手に負える仕事ではなかった。

次に首尾よく金解禁が実現されたとしても入超続きの日本では、金の流出が続き、通貨は収縮せざるを得ない。当然のことだが、不景気がさらに進行することになる。大戦景気にならされ、膨張したままの企業や家計が耐乏生活を強いられるわけで、水ぶくれした体質が改善され、国際競争力がつくまでは、ある程度の時間がかかる。

すでに長い経済の低迷があり、金解禁を望む多くのひとびとは、即効薬を期待している。だが、金解禁は即効薬ではなく、苦しみながら、にがい薬を飲み続けることである。焦立ちのあまり局面の転換だけを求めていたひとびとをはじめとして、民衆の多くが辛抱しきれなくなる。健康体になるために、なおしばらくの不景気が必要だ、という理屈も通らなくなり、やがて為政者をうらむようになる。

政治家の売り物となるのは、常に好景気である。あと先を考えず、景気だけをばらまくのがいい。民衆の多くは、国を憂えるよりも、目先の不景気をもたらしたひとを憎む。古来、「デフレ政策を行って、命を全うした政治家は居ない」といわれるほどである。容易ならぬ覚悟が必要であった。

それに、軍部および右翼筋からの反発も予想された。

緊縮財政では、まず焦点となるのが、陸海軍費の節約である。すでに陸軍においては師団の削減が行われており、かなりの不満が出ている。

海軍についても、先のワシントン会議での主力艦の削減に続いて、今回はロンドン会議で、補助艦艇の削減をとりきめる。こうした世界的な軍縮の流れは、英米優位の支配体制を許すものだとして、一部には強い反対がある。

だが、軍縮は推進しなければならない。それは、金解禁への重要な前提でもある。そして、金本位制への復帰によって軍部の膨張を許さぬ構造を作り上げようー浜口たちのそうした構想を、軍や右翼関係者が見逃すとも思えない。彼等が単独で、あるいは、不景気をうらむ民衆にまぎれて襲いかかってくることも、当然、予想されなければならなかった。

金解禁断行は、文字通り、進んで「行路難を背負う」ことであった。「君国のため命を捧げよう」という男二人のひそかな盟約、決して絵空事ではなかった。

井上準之助が金解禁にこだわったのはなぜか

城山三郎「男子の本懐」(新潮文庫) P37
なぜ、それほどに金解禁にこだわるのか。

金解禁とは、金の輸出禁止措置を解除し、金の国外流出を許す、ということである。

もともと世界各国とも、金本位制をとり、金の自由な動きを認めていたが、第一次大戦の勃発により、経済がかつてない混乱に陥った際、先行きの不安に備え、各国はとりあえず金を自国内に温存しようとして、輸出禁止を行った。

日本も、1917年(大正六年)九月、寺内内閣のとき、大蔵省令によって、金輸出を禁止した。非常事態に際しての非常事態であった。

金本位制度の下では、各国とも、紙幣は兌換券であり、中央銀行でいつでも表示の金額に代えることができるし、その金額の金含有量によって各国間の交換比率(為替レート)が法定化される。

ある国で輸出超過が続けば、決済代金として、外国から金が流れこむ。その結果、その国の金の保有量がふえ、これに比例して自動的に通貨が増発される。

このため、今度は、国内物価が騰貴するようになり、輸出は前ほど伸びなくなり逆に外国品の輸入がふえて、輸出入のバランスが回復する。

逆に、入朝続きで、国際収支が赤字のときは、その支払いのため、金が海外へ出て行く、この金保有量の減少に応じて、中央銀行は通貨の発行を減らすことになるので、デフレが起き、物価が下がる。このため、商品に国際競争力が出て、輸出が伸び、一方、外国品が割高になるため、輸入が減る。国際収支は自動的に改善に向うわけである。

各国が金本位制度をとれば、各国経済が世界経済と有機的に結ばれ、国内物価と国際物価が連動して、自動的に国際経済のバランスもとれる。

金本位制は火の利用と並ぶ人類の英知だ、とたたえる声もあるほどであった。

非常事態が去れば、非常手段をやめるのが当然である。

パリ講和会議のはじまった1919年、アメリカは早々にこの非常手段を廃止し、金本位制に戻った。翌年には、スウェーデン、イギリス、オランダと、金解禁する国が続いた。

1922年(大正11年)ゼノアで開かれた国際会議では、各国とも解禁を急ぎ、金本位に復帰するよう決議が出された。

各国は、この決議に従って、続々と解禁。1928年(昭和3年)のフランスの解禁によって、めぼしい国はほとんど金本位制へと戻った。残っているのは、日本とスペインだけという始末。

(略)

事実、金本位制という安定装置を持たぬ日本経済は、「通貨不安定」にゆさぶられていた。為替相場は、国内外の思惑などによって乱高下を続ける。このため、為替差益を狙う投機筋が暗躍。その一方で、地道に生産や貿易に従事する者は痛手を受け、あるいは先行き不安で立ち往生といった状態。為替差損のため倒産するところもあれば、差損をおそれて活動を縮小する企業もある。経済は低迷を続けるばかりであった。

このため金解禁に活路を求める声が、金融界・産業界にひろがっていた。

日露戦争の戦費なとして借りた2億3000万円の英貨公債が昭和5年いっぱいで期限が来る。償還能力のない日本としては、借り換えをたのむ他ないが、「通貨不安定国」では、それも交渉できない心配があった。

さらに、金解禁には、いまひとつ、秘めた思いがあった。軍部の膨張を抑制することである。

この当時は軍縮の時代だが、しかし、一皮剥げば、その下には、張作霖暗殺事件に見るように、軍部の拡張主義が息づいている。仮に、その軍部がおどり出し、軍事費を増大させようとしても、金本位制である限りは、通貨をむやみ勝手に増発することはできない。資金の面から、自動的にブレーキがかかってしまう。

井上は、親しい日銀の後輩に漏らした。
「いまの陸軍は、心配でならん。できれば、摩擦なしにメカニズムで軍部をチェックできるようにしておきた」と。

2010年1月4日月曜日

外需主導から内需主導型に経済政策を切り替える際の戦略目標になるのは実質GNIであるというのはどういうことか

鈴木淑夫 日本の経済針路(新政権は何をなすべきか) 岩波書店

輸出に代わってこれから日本経済の発展を引っ張るのは何であろうか。それは,①国民生活の向上に密着した国内需要の持続的増加、②海外投資の効率化による海外からの所得純受取の増加、および③名目円レートの円高に伴なう交易利得の拡大、の3つである。(P145)

これをマクロ経済の姿として整理すると、次のようになる。

第一に、これからの生活重視のマクロ経済政策の戦略的な目標は、企業の国内における生産ではなく、国民の実質所得である。指標に関して言えば、これまでなじみの深かった「実質国内総生産(GDP)」ではなく、国民生活の基盤である「実質国民総所得(GNI)」である。

「実質GDP」に「交易利得」と「海外からの純受取所得」と加えた指標が「実質GNI」である。小泉政権以降の01-08年中は海外商品市況の上昇と超低金利に伴なう円安によって、交易条件は悪化を続け、交易利得はマイナス、つまり交易損失に変わっていた。このため「海外からの純受取所得」は少しずつ拡大してはいたが、交易損失の拡大テンポがはやかったため、「実質GNI」の増加率は常に「実質GDP」の成長率を下回り、07年度には、遂に絶対額でも「実質GNI」が「実質GDP」を下回ってしまった。(p136)

これからの日本は、これを逆転させなければならない。

企業努力による対外投資の収益率向上と、政府による対外準備の効率的運用は、国民生活の基礎となる実質国民総所得(GNI)の増加率に大きな影響を及ぼすのである。

注)
交易条件=輸出物価/輸入物価

国内で生産された付加価値の総額を実質ベースで測ったものがいつも聞きなれている「実質国内総生産(GDP)」である。しかし、この国内総生産を海外に安く売り、海外の生産物を高く勝手いると、「国内総所得(GDI)」は減ってしまう。この輸出価格と輸入価格の比率を「交易条件」と言い、輸出価格の方が相対的に値上がりしていれば、交易条件は好転(交易利得の増加)、逆に比率が低下していれば交易条件の悪化(交易損失の増加)である。(P78)

「実質国内総生産(GDP)」に「交易利得」を足した(または交易損失を引いた)のが、「実質国内総所得(GDI)」である。このGDIに、更に「海外からの所得(純受取)」を加えたのが、「実質国民総所得(GNI)」だ。これこそが国民生活の基盤である。(P79)

小泉政権はどのような政策課題を抱え、それにどのように対応したのか、そしてその帰結は何だったのか

鈴木淑夫 日本の経済針路(新政権は何をなすべきか) 岩波書店

2001年4月に発足した小泉内閣は、少なくとも3つの経済的課題を、それに先立つ日本経済から引き継いでいた。

第一は不況の克服である。
第二に、このような中で、大手銀行の一角である「りそな銀行」の経営危機が表面化し、株価は暴落して再び金融恐慌前夜の様相を呈した。
第三の課題は、財政赤字の縮小である。官僚に主導された橋本内閣が「財政赤字の圧縮は待ったなしの最優先課題である」という誤った認識の下で97年度の超緊縮予算を執行し、経済をマイナス成長に落ち込ませて逆に財政赤字を拡大した。その結果、97年当時、他の先進国に比べてほとんど遜色のなかった日本の政府債務残高対GDP比率は、その後急上昇し、小泉内閣発足時の01年度には、本当に他の先進国を大きく上回ってしまったのである。

不況の克服、金融危機の処理、財政債権という3つの課題に直面して小泉政権が採った基本的戦略は、「財政緊縮、金融超緩和」のポリシーミックスであった。財政緊縮によって財政赤字の縮小を図る一方、不況克服の役割を日本銀行に押し付け、ゼロ金利政策、量的緩和政策などの超金融緩和政策を取らざるを得ない状況に追い込んだ。

超金融緩和政策、一方で円安を促進して輸出主導の景気回復を実現し、他方で金融危機の深化を防ぎ、その処理を容易にした。

こうして「財政緊縮、金融超緩和」のポリシーミックスというマクロ経済政策によって、3ツのマクロ経済的課題の解決に一定の成功を収めた小泉政権は、その副作用として、輸出産業と内需産業、企業と家計、大企業と中小企業、中央経済と地方経済、正規雇用者と非正規雇用者などの間に、大きな格差を生み出した。

なぜ97年の超緊縮財政において官僚は橋本政権を情報操作したのか

鈴木淑夫 日本の経済針路(新政権は何をなすべきか) 岩波書店

後になって、橋本総理や梶山官房長官(当時)が述懐したところによれば、当時橋本内閣の閣僚たちは、総理を含め、経済企画庁(当時)が作った楽観的な97年度経済見通しと、住専を処理すれば残る問題は信用総合の経営だけだという大蔵省(当時)の説明を鵜呑みにしていたのだと言う。まさに「官僚主導型政治」の典型的な事例である。

官僚の情報操作に乗せられた与党の政治家が、野党や一部の識者の声に耳を貸さず、日本経済を台無しにするような大失敗を犯したのである。

何故官僚たちは、ここまで情報操作をしたのであろうか。大蔵省の金融行政は、戦前の片岡大蔵大臣の国会での不用意な発言が昭和金融恐慌の引き金になった失敗に鑑み、伝統的に深刻な金融問題を隠す体質を持っていた。金融危機の実態を隠しながら、経営の悪化した金融機関を優良な金融機関に合併させ、合併先が見つからない時は大蔵官僚OBをトップに送り込んで解決を先送りし景気回復によって好転するまで隠し続けた。こうして金融行政の「無謬性神話」は維持されて来た。

90年代も真実を明らかにしないという意味で、同じ手法をとっていた。住専処理と称して住専に公的資金を投入したが、実は住専ではなく、農林系統金融機関の救済が目的であった。この公的資金で住専に対する農林系統金融機関の不良再建の返済を可能にして農林系統金融機関を救い、そのあと住専は見殺しにした。また信用組合にのみ公的資金を注入する体制を作っただけで、あとは大丈夫だと説明して先送りしようとした。

しかし、財政再建最優先の97年度超緊縮予算を組むことによって、大蔵省は自ら墓穴を掘った。自ら引き起こした二年間のゼロ成長とマイナス成長という深刻な景気後退によって、株価暴落と不良債権の再膨張を招き、金融機関の経営悪化は先送り出来ない域に達した。そして遂に大型金融倒産という形で火を噴いたのである。

そうなるまで隠し続けた動機は、過去の金融行政の失敗が明らかになるのを避けたかったという行政の「無謬性神話」への固執があったからかもしれない。あるいは、主計局の銀行局に対する絶対的優位から、財政構造改革法の国会通過の妨げとなる深刻な金融問題を銀行局に隠し続けさせたという組織上の問題もあったかもしれない。

後者だとすれば、これが景気となって大蔵省の財金分離が与野党の政治家によって実行され、金融庁が誕生したのは一つの前進かもしれない。

バブル崩壊後の自律回復をどのように橋本政権はだいなしにしたか

鈴木淑夫 日本の経済針路(新政権は何をなすべきか) 岩波書店

90年から始まった地価と株価のバブル崩壊は、日本経済に大きな痛手を与えた。設備投資と在庫投資の後退によって、三年間に平均1%弱の成長しか出来ずに低迷していた。しかし、(略)94年度から96年度には、早くも毎年2%台の成長率に回復した。円相場は再び強くなり、90年に8位まで低下したOECD諸国内の一人当たり名目GDPの順位も、93年には2位に上昇し、96年までの3年間は3位を維持していた。

回復を主導したのは、短期のストック調整を終えた設備投資と在庫投資である。また企業収益の回復は、賃金と雇用の回復を通じて雇用者報酬を回復させ、家計消費を大きく回復させた。輸出と輸入の差である純輸出(外需)はむしろマイナスで、成長の足を引っ張っていた。典型的な内需主導型回復である。

この3年間の国内民間主導型の回復が、その後も維持されていたならば、バブルの崩壊によって発生した多額の不良債権・不良債務は、21世紀の初頭までに少しずつ整理されたに違いない。

しかしこの道が政策の失敗によって絶たれたのである。

橋本内閣は、1997年度に超緊縮予算を執行した。消費税の3%から5%への引き上げで5兆円、特別減税の打ち切りで2兆円、医療保険など社会保障負担の引き上げで2兆円、計9兆円の国民負担増加と、四兆円の公共投資削減、合計13兆円のデフレ・インパクトを持った予算である。

その結果、まず家計消費が落ち込み、続いて企業投資が沈んだ。97年度はゼロ成長となり、98年度は更に1.5%のマイナス成長に陥った。

戦後の日本経済で、この年までにマイナス成長に陥った年は、第一次石油ショックで高度成長が終焉した74年度(1990暦年基準GDP)と、バブル崩壊後の93年度(1995暦年基準GDP)の二回だけであったから、97年度予算は、73年秋の第一次石油ショックや90年代初頭のバブル崩壊に匹敵する衝撃を日本経済に与えたのである。いや、それ以上であった。ゼロ成長とマイナス成長が2年間続いたのは、戦後初めての事だからである。

97年度以降、経済が二年続けてゼロ成長とマイナス成長に陥ったため、財政、金融、企業経営は大打撃を受けた。

97年度の財政赤字は、9兆円の国民負担増加と4兆円の公共投資削減にも拘わらず、2兆円しか減らなかった。

これに伴ない、政府債務残高の対GDP比率は急上昇した。1996年の時点では、「粗」比率では、米国、カナダ、ユーロ圏とほとんど遜色のない水準であり、「純」比率では日本が一番低かったので、景気回復を犠牲にしてまで財政再建を急ぐ必要はなかったのである。

(97年から99年にかけての)この2年間の3.4%のマイナス成長により、バブル不況からの立ち直りを進めていた日本の企業は、肝心の本業が大きく悪化した。バブルの崩壊で生まれた不良債務の整理を進めるどころか、本業の方で新たな不良債務が膨らみ始めたのである。債務ばかりではない。94年から96年の3年間の前向きに増やし始めていた設備と雇用も、予期せぬ2年間3.4%の中で過剰となった。

この時生まれた「3つの過剰」(設備、雇用、債務の過剰)は、2004年まで企業経営を圧迫し、経済成長の足を引っ張り続けたのである。

日本国民を取り巻く四重苦とは何か

鈴木淑夫 日本の経済針路(新政権は何をなすべきか) 岩波書店

第一は景気上昇から景気後退初期に生じた、消費者物価の上昇である。
第二は、景気上昇期から最近の景気後退期まで、一貫して続いた超低金利である。
第三に、円の為替相場は、21世紀に入って07年中頃まで大きく値下がりした(円安)。つまり戦後最長の景気上昇期間中、外国の物を買うのに、これまでより多くの円を支払わなくては買えない状態が続いた。その後07年後半からは円高に転じたが、実質実効レートで見ると、まだ01年からの円安の5割強しか戻っていない。これは、国民生活の対象となっている輸入品の値上がりであり、海外旅行費用の上昇である。これも国民生活にとって不利である。
第四に、08年にはいって日本の景気は後退し始め、雇用者が減り、失業者は増えている。

2010年1月3日日曜日

国はなぜ借金をしつづけられるのか

土居丈朗「財政学からみた日本経済」(光文社新書)

それは、国民が郵便貯金にお金を預けそれを国に貸したり、銀行が、バブル崩壊以降、民間企業に貸し渋る一方で、国には多額のお金を貸したりしているからである。さらに、郵便貯金や国民の年金の積立金の多くは、無駄遣いや国民のためにならない仕事をしている特殊法人へお金を化している。国民の虎の子の貯金は、霞が関の官僚が運営する国の制度によって、不本意にもそうした無駄遣いをする国や特殊法人などに使われてしまっているのである。

おまけに、特殊法人が無駄遣いをしたため、貸したお金の多くは、(政府・官僚は認めていないが)もはや戻ってこず焦げ付いてしまっている。これは、将来、年金給付が減らされたり、郵便貯金で得られる利息が減らされたりする形で、国民にツケをまわされることになる。

負の所得税

飯田泰之、湯浅誠「経済成長って何で必要なんだろう?」(光文社)

飯田
例えば、そういった失業者の受け皿として、僕は、派遣という労働形態は非常に有用な気がするんです。収入が低くても待遇が悪くても、まったく職を得られないよりはマシなんではないでしょうか。その意味で、派遣業法の規制をさらに緩和して、とにもかくにもジョブをつくるという方向はアリなんじゃないでしょうか。

湯浅
生存が確保されるなら、それでいいと思います。ただ、そうした半就労・半失業状態には、半就労・半福祉が対応しなければいといけません。例えば、生活保護をもらいながら就労で5万円稼ぐとか、足りない分を福祉で出すとか、こういう生活のあり方、生存のあり方というのを、社会的に受け入れるかどうかですね。

竹中平蔵は「雇用を流動化したから失業がこの程度で済んでいるんだ」という言い方を好みますが、そこには、生きていけるかどうかが入ってない。食える失業と食えない非正規労働だったら、どっちがいいのか。こういうことも含めて考えなきゃいけない。でも、彼らは労働を収入の面でしか考えないから、単純に失業よりは非正規労働のほうがいいという話になってしまう。

それと同じで、雇用を流動化して「ゼロよりはマシでしょ」といったときに、それが食えるか食えないかが問題なんです。だから、食えないことを前提に、雇用を流動化して非正規労働を増やすのであれば、必ず半福祉・半就労というのを社会的に位置づけなきゃいけない。

ところが、「失業より非正規雇用がマシだろ」といったときには、社会保障の話は入ってこないわけです。「働ければ、働く場所があるだけでもありがたいと思え」という理屈だから。ここでどれだけ突き進んでいっても、半福祉・半就労は位置づかない。

だから、もうちょっと逆の側から、セーフティネットの側から、半福祉・半就労を位置づける中で、非正規労働を社会的に受け入れていく。そういう流れで、雇用の流動化という問題を考えないと、結局生存が確保されない。

飯田
その半福祉・半就労に一番近いタイプが、「負の所得税」といいますか、給付型のスタイルですね。例えば年収0なら、所得税をマイナス120万円にする。つまり120万円を給付するわけですね。その飢えで、60万円を稼いだ人に対しては、この給付を100万円にする。「120マイナス60「で給付を「60万円」にしたら「働くだけ損」ということになりますが、負の所得税では、あくまで働いて稼いだ方が総額で特になるように、税制をデザインします。これがいわゆるフリードマンスタイルの給付の仕方です。

財政破綻を回避するにはどうすればいいか

土居丈朗 「財政学から見た日本経済」(光文社新書)

こうした破局は、国民としては起きて欲しくないことである。ならば、どのような改革を行えば、このような破局を避けることができるだろうか。まず、無駄遣いをして国民から借りた金を返せない状態になっている特殊法人は全廃する。

地方自治体の中でも、地元住民からの税収だけでは借金が返せない過疎の町村が相当多くある。そうした自治体に対しては、返済能力を確保するべく近隣の市町村と合併するか、借金を禁止するかを決めさせる。

そして、国の補助金に依存する自治体が、地方の自立を妨げるだけでなく、国の借金を膨らます元凶になっているから、補助金(地方交付税)制度を廃止し、自治体が住民のニーズをよりよく反映できるよう地方分権を進める。

そして、国政選挙では定数是正を厳格に行い、定数格差をなくす。そうすれば、国にたかって補助金や公共事業さえ持ってくれば、ただ飯が食えるかのごとき日本経済の悪い構造を、根本から改めることができる。それが、雪だるま式に増える国の借金を減らし、国が破産するという破局を避ける方法である。

企業福祉の破綻の理由は何か

飯田泰之他「経済成長って何で必要なんだろう?」(光文社)

飯田泰之
「第一に、企業福祉がなくなったというよりもできなくなった理由としては、90年代の労働分配率上昇の問題があるかと思います。社会全体が生み出した価値のうち労働者のものになる部分を労働分配率というんですが、90年代の半ばから後半にかけて、日本の労働分配率がちょっと先進国には例を見ない高さになってしまいました。アバウトにいうと、新たに生み出された価値のうち、3分の2が労働者というものが、だいたい各国の長期的な安定水準なんです。
 しかし一時期の日本は7割以上、一時は7割5分に上がってしまった。これをせめて3分の2程度に戻さないと、企業としてはやっていけない。
 分配率上昇の原因は、売上が減ったのに、正社員の給料を下げられなかった。さらには解雇も困難だったことになります。これをいうと労組への恨み言になっちゃいますけれど、なぜ正社員の待遇を低下させていくという選択肢にならなかったのかと悔やまれます。そして、正社員の待遇を守るために、何かほかのことを大きく犠牲にしなくてはならなかった。その結果が非正規雇用の拡大です。

一元的民主政治の成立条件

山口二郎「政権交代論」(岩波新書)

一元的民主主義と多元的民主主義 P204

憲政の常道を考える際には、どのような型の民主政治を採用するかという基本を明確にしておく必要がある。敢えて単純化すれば、民主政治には一元的民主主義(契約モデル)と多元的民主主義(協調モデル)という二つがある。前者は、政党あるいは首相候補者が国民に政権公約を示し、国民が選挙でそれを選択して、為政者に負託(mandate)を与える。政権を獲得した政党、首相は、国民に約束した政策を最大限実行することによって、民意に基づく政治を実現する。

多元的民主主義は、多様な政党が様々な民意を代表し、それらの政党同士の交渉や妥協によって政治を運営していける。

一元的民主政治の条件

第一に、強力な野党が存在し、常に政権交代の可能性が存在することである。

第二に、そのような野党の活動を支える制度的な土台が必要である。(行政府が持つ膨大な情報に対してアクセスできないことが、野党にとって政策立案の障害となる。)

第三に、与野党の間で政治的競争や討論に関するルールを共有することが必要である。最終的には多数決で物事を決めるのは仕方がないが、多数決に至るまでの過程が重要であるし、多数決で決めてはいけないことがあるという自覚も必要である。

第四に、市民的自由を尊重するという気風を警察・検察や司法に定着させることも、憲政の常道の要素である。

司法権力が特定の政権を前提として、その政権が追求する秩序を擁護するということでは、自由は確保されない。

第五に、公正なメディアが存在し、与野党双方に的確な批判を加え、国民に政治的判断のための情報を提供することがきわめて重要である。

第六に、連立政権の形成と運用に関する常識を打ち立てる必要がある。

ボッピオによる右派、左派の定義

山口二郎「政権交代論」

イタリアの政治哲学者ノルベルト・ボッピオは、一般にフランス革命以後の近代の政治において、この自由と平等が最も基本的な対立軸だることを、歴史的に明らかにしている。革命は、飢え、貧困、失業など基本的な生存の条件を脅かされたことに労働者や農民が怒り、権力に反抗することから始まった。貧民にも人間として生きることを可能にせよという訴えは、生きることに関する平等を主張するものであった。ボッピオは、そのような人間の生命や生活に関する平等志向を「左派」と呼び、それとの対抗上、平等の徹底に消極的な側を「右派」と呼んでいる。(中略)

右派は、自由、特に強者の自由を放任する立場である。

左派と右派の最大の違いは、人間という存在を基本的に同じ価値をもつものと考えるか、そもそも異なったものと考えるかという点に由来している。左派は、人間は等しく人間らしい生活ができるようにすべきだというのが基本的な考え方である。世の中の動きを放置しておいても、自然に平等が実現しない以上、政治の力で社会における不平等拡大の動きを是正すべきだということになる。右派は、人間はすべて能力も個性も異なるという前提でものを考える。だから、経済的な意味でも格差が生じて当然だという考えに至る。

平均値の種類

統計の中心となる平均という概念もさまざまである。

飯田泰之さんの考える技術としての統計学での説明。

算術平均=(X+Y)/2

幾何平均=√XY

調和平均=2/(1/X+1/Y)

二重平均=√(X^2+Y^2)/2

算術平均はテストの得点のように水準に関するデータを求めるのに使われる。

株価が2006年に40%下がり、2007年に50%上昇したときの平均の株価上昇率を求めるときに使われる。

100のn乗根=100^(1/n)

時速と移動距離などの時間あたりの変化について考えるときに調和平均という考えが用いられる。

たとえば、60kmの目的地まで、行きは時速30mで、帰りは時速60kmで走行したときの平均値。

二重平均は標準偏差の計算のときなどに用いられる。