2011年1月12日水曜日

大澤真幸 「正義」を考える

物語とは、「価値ある終結へと関連づけられている出来事の連なり」のことです。 P26


新しい傷(カトリーヌ・マラブー)

「解釈学的内面化hermenuetic internalization)ができないタイプのリスク。

誰かが、リスクと呼べるような、さまざまなひどい出来事に遭遇し、心身に傷を負うとする。ところが、その出来事に遭った被害者が、その傷を、どうしても内面化できない。つまり、それを自分で受け入れることができない。自分の運命だったとか、仕方がないこととして、引き受けることができない。そのようなリスクが、新しい傷です。当事者にとって、いつまでも外在性や疎遠性を保ち続けているリスクが新しい傷です。 P29


精神分析では、解釈されることによって症状が消える。

解釈するということは、そこに一つの物語を与えるということなんですね。

かつてのトラウマが、人生という物語の中で、一つの試練として解釈し直されるわけです。そうすることによって、トラウマに物語の中での意味が与えられる。意味が与えられることにyとて、どんなに悲惨なことでも、耐えたり、受け入れたりすることができるものになる。P30

転移;患者が分析医との関係に、過去の関係を写像し、再現する。


第三の審級としての分析医

新しい傷は、精神分析のような伝統的方法では解消できないタイプのリスク。


近代の初期段階までであれば、さまざまに襲ってくる災難を有意味に解釈するためのフレームワークがあった。


物語化できない他者
物語化によって、その他者性を馴致できないような他者の出現こそが、現代社会の特徴

第2章 正義の諸理論
制度にとっての究極の価値が正義であるとは、ある制度にいろいろな意味で都合がいいことがたくさんあったとしてもそれが正義にかなっていなければその制度はダメだということです。 P36

功利主義
行為の「正解」の程度は、その行為がどれほどの快楽=効用をもたらし得るかで判断できる。

「最大多数の最大幸福」ジェレミー・ベンサム

功利主義というのは、公然と個人の権利とか尊厳を蔑ろにするのです。つまり、功利主義は、誰かの幸福(効用)が増えるのであれば、誰かが犠牲になることを正当化する。

リベラリズム

カント
人間はみんな自由である。自由である前提として人間は理性的である。まさに人間は理性的で自由があるゆえに、それぞれ尊重するに値するというのがカントの考え方の基本的な前提。

普遍化によって矛盾が出てくるような格率は、定言命法にはなりえない。

殺人鬼のパラドックス(ベンジャミン・コンスタン)

コミュニタリアン
両方救えればそれに越したことはないけれど、一人しか救えないときに、自分との間にあるある種の先験的というか、宿命的な連帯を認めることが許されるような他者に対して優先的な責任を負う。コミュニタリアンは、そういうふうに考えるわけです。

コミュニタリアンは、人間は物語の中で生きるということを前提にしている。その物語は、共同体の宿命的な連帯と深く結びついている。人間は物語の中で位置を持ち、それにコミットし、その物語に対して深い愛着(アタッチメント)を持っている。そのことを前提にして、いろいろな道徳的責務ができている。

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