2010年1月4日月曜日

小泉政権はどのような政策課題を抱え、それにどのように対応したのか、そしてその帰結は何だったのか

鈴木淑夫 日本の経済針路(新政権は何をなすべきか) 岩波書店

2001年4月に発足した小泉内閣は、少なくとも3つの経済的課題を、それに先立つ日本経済から引き継いでいた。

第一は不況の克服である。
第二に、このような中で、大手銀行の一角である「りそな銀行」の経営危機が表面化し、株価は暴落して再び金融恐慌前夜の様相を呈した。
第三の課題は、財政赤字の縮小である。官僚に主導された橋本内閣が「財政赤字の圧縮は待ったなしの最優先課題である」という誤った認識の下で97年度の超緊縮予算を執行し、経済をマイナス成長に落ち込ませて逆に財政赤字を拡大した。その結果、97年当時、他の先進国に比べてほとんど遜色のなかった日本の政府債務残高対GDP比率は、その後急上昇し、小泉内閣発足時の01年度には、本当に他の先進国を大きく上回ってしまったのである。

不況の克服、金融危機の処理、財政債権という3つの課題に直面して小泉政権が採った基本的戦略は、「財政緊縮、金融超緩和」のポリシーミックスであった。財政緊縮によって財政赤字の縮小を図る一方、不況克服の役割を日本銀行に押し付け、ゼロ金利政策、量的緩和政策などの超金融緩和政策を取らざるを得ない状況に追い込んだ。

超金融緩和政策、一方で円安を促進して輸出主導の景気回復を実現し、他方で金融危機の深化を防ぎ、その処理を容易にした。

こうして「財政緊縮、金融超緩和」のポリシーミックスというマクロ経済政策によって、3ツのマクロ経済的課題の解決に一定の成功を収めた小泉政権は、その副作用として、輸出産業と内需産業、企業と家計、大企業と中小企業、中央経済と地方経済、正規雇用者と非正規雇用者などの間に、大きな格差を生み出した。

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